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浅間山大噴火 生死を分けた15段

画像 天明3年の浅間山の大噴火は、大規模な土石流を起し、群馬県の一つの村をのみこんだ。

 天明3年と言えば1783年、今から230年以上も前の話しだ。
 五月に始まった噴火は、八月になってマグマの噴出量が急激に増加し、運命の八月五日に「吾妻火砕流」が発生する。

 
 「鳴り音は静かだった。突然熱湯が一度に水勢百丈あまり、山から湧き出し、六里ヶ原一面に押し出した。神社、仏閣、民家、草木すべて一押しに流し去り吾妻川沿岸七十五カ村の人馬を残らず流出させた。」と浅間大変覚書で残されている。

 土砂雪崩は、吾妻川にまで達し、川をせき止め決壊し、吾妻、利根川の下流の村も襲い、死者1,624人となった。

 その後の溶岩の噴出は、今も残る鬼押し出しを形成した。


 天明三年の土石流で、鎌原村の全戸(118戸)はこの時流出し、死者477人を出した。村の生存者は93人だったという。

画像 村外にいた者以外で、奇跡的に助かった村人は、村の高台に建つ「鎌原観音堂」の境内へ逃げて助かったが、土石流は足元の石段15段まで迫ったという。

 村人の命を救った「鎌原観音堂」は、厄除け観音として厚く信仰され供養が行われてきた。

 
画像  昭和54年、天明の噴火で、土石流により埋没した村の発掘調査では、貴重な生活用品が発見されている。

 一方、鎌原観音堂の石段の発掘調査では、埋没した石段の中から親子あるいは姉妹とみられる女性の2遺体が見つかった。(左の写真)
 
 若いとみられる女性が高齢の女性をおぶるような格好で倒れた姿であったという。

画像 体の不自由な女性(親か高齢者)をおぶりここまで逃げたが間に合わず、あと数段の差で命を落としたと推定されている。

 発掘により、一つの悲しい歴史も見つかったわけである。


 鎌原観音堂は、嬬恋郷土資料館の裏手にあり、地元の人の手によりしっかり守られている。

 埋まった石段の上には赤い橋が架かり、歴史を知らずに観光客が渡っていく姿は空しさを感じる。

 この天明の噴火の始まりも五月だったというが、、。


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