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軍師「山本勘助」ここに眠る

墓碑2643 海津城を手がけた武田信玄の軍師「山本勘助」の墓碑は、千曲川の堤防脇にひっそりと建っています。
 明日9月10日は、山本勘助の命日です。

 NHKの大河ドラマ真田丸でも出てくる海津城(現在の松代城)は、武田信玄の軍師「山本勘助」によって建てられたものだ。
 山本勘助は、大河ドラマ「風林火山」の方が有名かもしれない。

 この山本勘助の墓は、長野市松代の千曲川の堤防内にひっそり建っている。

 山本勘助といえば、兵法、槍術等にたけ、特に築城技術は定評があった。44歳で武田信玄の軍師となり海津城を手がけたのだが、1561年9月10日、上杉軍との激戦で討死したもの。

 そんな名将にしては、意外な場所に墓があった。

 松代町の寺尾集落を抜け「広瀬の渡し」方面へ進むと、千曲川の堤防を越えると木が数本茂った木陰に墓碑が建っている。風林火山の幟旗が無ければうっかり見過ごしてしまうかもしれない。

 これがあの勘助の墓なのか。

 説明書きを読むと、こう記されている。

阿弥陀堂跡2637 「勘助の墓は初め、この南、陣ケ瀬の東、勘助塚にあったが、千曲川の流れにより荒廃していく姿を憂い、1839年松代藩家老鎌原重栄・原正盛が、信玄ゆかりの信州柴阿弥陀堂境内に遺骨とともに移し、墓碑を建立した。」

 ということは、元々は勘助塚にあったものを阿弥陀堂境内に移転したようだ。ただし、阿弥陀堂自体は、昭和初期の千曲川築堤により移転してしまったという。

 勘助の墓ができた時には、千曲川の堤防はまだなかったということ、後に作られた堤防が外に作られたため、堤内となってしまったのだ。

 近くに行った際は、ちょっと足を伸ばして参拝を。


 ちょっと一言

 大河ドラマ「風林火山」の平均視聴率は18.69%。それに対して、「真田丸」は最近では15%を割り込む日も現れ、視聴率は右肩下がり。

 私はちなみに一度も見たことがありません。私の職場でも「真田丸」の話題がでたことがありませんので、視聴率15%でも意外です。

 長野県民でもそれほど騒がれていないのに、ある所にでは「真田丸」人気にあやかっているので不思議です。


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